李グウ公殿下ご結婚の際の接見案内状です。中身は黄ばみありますが比較的綺麗です。封筒のほうは覚書きのようなものがあり、少し状態が悪いです。倉から見付かった数点の案内状のうちのひとつです。専門家ではないので品物の状態以上の詳しいことは分かりかねます。写真をご確認のうえ、自己責任にて判断をお願い致します(>_<)中身…約16cm×11cm封筒…約18cm×12cm李グウ公についてwikiより日本統治時代の朝鮮で生まれる。1917年に興宣大院君の孫(父・李堈の従兄)で、父李熹から公位を継承していた李埈公が急逝したため養子となり、雲峴宮の第4代宗主と公位を継承。以降李鍝公殿下と呼ばれるようになる。1922年に日本へ渡って学習院初等科に入学、その後陸軍中央幼年学校を経て、1933年に陸軍士官学校(45期)を卒業し、野戦重砲兵科に進んだ。1935年、朝鮮貴族朴泳孝侯爵の孫娘である朴賛珠と結婚する。公妃賛珠(勲二等昇授 勲一等宝冠章[2])との間に二男(李淸、李淙)を儲けた。1941年に陸軍大学校(54期)を卒業した。1945年8月6日、広島に置かれた第二総軍の教育参謀(陸軍中佐)であった李鍝は、馬に乗って司令部への出勤途中、福屋百貨店(爆心地から710m)付近で原爆投下に遭った。鍝は被爆後もそのまま西方へ馬を飛ばしたが、力尽きて本川橋西詰(橋桁の下とも)で抜いたサーベルを手にしたままうずくまっているところを同日夕刻発見され、ただちに市内似島の病院に収容されたが、翌7日午後4時過ぎに死亡した。死後、陸軍大佐に昇進した。遺体は妻子のいる京城へ空輸され、8月15日に葬儀が行われた。皇室王室李王朝李グウ公大日本帝国ミリタリー戦前 戦後骨董 史料 資料
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